【自転車奔走記】第570回。

【ケアマネの自転車奔走記】連載・第570回。

七夕終わりの日曜日。皆様いかがお過ごしで
しょうか?七夕が終わると、梅雨も終盤戦に
差し掛かるという印象が個人的にあります。
思い返すと、子供のころ、七夕の日に晴れた
日の記憶が無いのが原因でしょうか(笑)。
七夕の思い出で一番印象に残るのは、いわゆ
る「七夕の笹流し」で、ある年の七夕に家族
で近くの川へ笹を流しに行ったまでは良かっ
たが、折からの雨で川が泥水渦巻く濁流と化
し、あちこちに無残な姿となった笹流しの残
骸、そして濁流に飲み込まれバラバラになっ
ていく笹を目の当たりにしつつ、家族全員が
(Ω\ζ°」チーン)となったことでしょうか。

とにかく、早い梅雨明けを切に望みます。梅
雨空に気持ちも沈みがちですが、熱中症予防
のこまめな水分補給と室温管理、そして食中
毒など梅雨時の衛生対策を万全にお願いしま
す。
では【自転車奔走記】はじまります!
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たきび版:介語苑・73―23。

【語句】
社会保障(制度)

【意味】
「国民の生活の安定が損なわれた場合」に、
国や地方公共団体などが一定水準の保障を行
う制度(セーフティネット)。

【解説】
今週からは社会福祉施策・制度の4番目「障
害者福祉」についてのお話となります。では
早速…と行きたいところですが、現在の様々
な制度や施策をお話する前に、先ずは日本に
おける障害者福祉の歴史について一通り振り
返ってみましょう。

日本において本格的な障害者の施策が始まっ
たのは戦後からとされています。戦前の日本
では障害者をもっぱらの対象とした福祉に関
する法律そのものがなく、一般的な窮民対策
としての「恤救規則」「救護法」の中で障害
者が救貧の対象となるしかありませんせんで
した。戦前において障害者の福祉についての
大前提は家族による対応で、それ以外の障害
者に対する保護や福祉は民間の篤志家、宗教
家、社会事業者の手に委ねられていたと言う
のが実情でした。石井亮一が創設した日本初
の知的障害児者の施設である滝乃川学園が有
名です。

そして戦後になり、まず福祉三法の一つであ
る「身体障害者福祉法」が制定されます。で
すが、当時の法律は主に傷痍軍人等の救済の
ため、障害を負っても社会復帰できるように
「保護」ではなく「更生」を支援する内容で
した。次いで「社会福祉事業法」が制定され、
福祉事業を民間が行う(措置委託)ことがで
きるシステムが確立しました。その後「精神
衛生法(精神障害者の保護や治療を目的とし
た法律)や「精神薄弱者福祉法(現在の知的
障害者福祉法)」「心身障害者対策基本法」
などが相次いで制定されましたが、当時は予
防や収容保護に重点が置かれた施策となって
いました。そして1981年の国際障害者年を境
に、日本における障害者福祉施策に大きな転
換が起こります。国際障害者年のスローガン
は「完全参加と平等」で、1960年代から
世界に浸透したノーマライゼーションの流れ
もあり、日本式であった障害者と健常者の分
離や収容保護を中心とした福祉の施策が、世
界基準の視点で見直しが図られるようになり
ます。

そして、現在の障害者福祉の理念の基本とな
る「障害者福祉法」が制定され、いわゆる福
祉八法の時代に入ります。この頃から、長く
続いた行政措置による福祉サービスの提供を
見直す動きが起こり、同時に脱施設・地域移
行への方向性も鮮明とます。そして、2003年
に契約によるサービス利用へと移行した「支
援費制度」が開始となり、既に始まっていた
介護保険と同様に措置ではなく契約により御
利用者が自由にサービスを選択できるように
なりました。その後、身体、知的、精神の三
障害を対象とした「自立支援法」そして、難
病も対象となった現在の「障害者総合支援法」
へと形を変えています。

また、2000年代からは障害者への差別や虐待
の防止、対策も強化され、「障害者虐待防止
法」や「障害者差別禁止法」なども制定され
ています。

と、法律の制定を軸にした非常に簡単な説明
となってしまいました。障害者福祉の歴史を
調べていくと、その当時の社会情勢や社会意
識によって大きく施策内容が左右され、障害
者の方々が社会に翻弄されてきた歴史に暗然
たる気持ちになります。そして同時に、その
中で立ち上がり、自らの力で様々な権利を獲
得してきた当事者や家族の闘いの歴史も知る
ことができます。

その話はまた別の機会にするとして、今回は
これにておしまい。
次回からは、障害者福祉
の施策についてもう少し細かにお話をしてい
きますね。
では、またお会いしましょう。
お相手は広森でした!
SEE YOU NEXT WEEK☆