【ケアマネの自転車奔走記】連載・第715回。
寒波つづきの2月。皆様いかがお過ごしでし
ょうか?この間、自宅の温度計をみたら、外
が氷点下1℃でした。久しぶりに、バケツに
張った水が凍っているのを見ました。私と同
年代の方なら、子どもの頃に通学路で水たま
りに張った氷を踏んずけて割ったり、雪や氷
の塊を蹴飛ばしながら歩いたりした思い出が
ある…と思います(笑)。遠い思い出と感傷
に浸ると同時に、やはり温暖化は進んでいる
のだろうな?と危機感も感じたりしています。
ともあれ、まだまだ寒さは続きます。風邪も
流行っているようです。風邪や感染症予防、
体調管理もこまめにお願いしますね。またヒ
ートショック、外出先での不慮の転倒など、
事故にも十分ご注意下を。
では【自転車奔走記】はじまります!
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たきび版:介語苑・77-2。
【語句】
老い
【意味】
①年老いること。年老いた人
②身体的に老化することはもちろんのこと
職場や家庭などでの社会的変化・退行を
伴うとされる現象。
【解説】
新連載【老いは、いつ価値が変わったのか
〜社会的有用性と人間の尊厳】の本章の
始まりになります。第1回目は【老いは、
なぜ不安なのか?「身体」ではなく「価値」
の問題として】。
先ずは問いかけです。「老いることは、いつ
から不安になったのでしょうか?」老いるこ
とに対して不安を感じるという事は、老いと
いう現象に対して肯定的ではない感情という
か、思いを多くの人が抱いているからだと思
います。その根本にあるのは、身体が衰える
からでしょうか?または、記憶力が落ち、動
作が遅くなり、病気のリスクが高まるからで
しょうか?。身体や機能の衰えが歓迎されな
いものであることは事実ですが、それだけで
はこの不安を説明出来ない違和感があります。
この違和感とは…
もし老いが単なる身体的変化であるなら、人
はもっと穏やかに老いを受け入れていたはず
だと思います。なぜなら、老いは誰にとって
も避けられない生の過程、言い換えれば生物
としての証であり、そこに恐怖や忌避がこれ
ほどまでにまとわりつく必然性は少ないんで
すね。にもかかわらず、現代社会において老
いは、しばしば「不安」や「リスク」と結び
つけて語られています。
これが私の感じる違和感であり、そしてこの
違和感の正体は何だろうか?と最近よく考え
るようになりました。そして得た一つの仮説
が、(老いが不安になるのは、身体機能の低
下そのものではない。むしろ、老いることに
よって、社会の中での自分の位置や意味が揺
らぐことへの不安ではないか?)という事で
す。言い換えると、老いとは「できなくなる
こと」以上に、「自分が何者であるかを説明
しづらくなること」を意味しているのではな
いか?そう考えるようになりました。
現代社会において、個人はどのようにして自
分の価値を確認してきたのか?と考えると、
多くの場合、それは仕事や役割、成果といっ
た「社会的有用性」を通じてであることは否
定できないと思います。働いていること、誰
かの役に立っていること、家族や社会に何ら
かの貢献をしていること——それらが自己肯
定の重要な基盤となっているんですね。です
が、老いはその基盤を静かに揺るがします。
定年や引退によって役割から退くことで、成
果を測る物差が狭くなり、そしていつかはそ
こから降りることになります。社会的有用性
を以前のように感じることができなくなりま
す。そこで私たちは初めて「社会的に役に立
つ存在であること」と「人間としての価値」
とを、同一視してきたのではないか?と気づ
くんだと思います。そして、老いへの不安と
は、この同一視が崩れる瞬間に生じる隙間み
たいなのものなのでしょうね。
ここで確認しておきたいことですが、社会的
有用性と個としての尊厳は全く別のものです。
尊厳は個が個としてあるかぎり、峻厳として
立ち続けるものです。一方、社会的有用性は、
ある意味で価値と言い換えることが可能です。
そして重要な点は、老いというものは、本質
的に価値を失う現象ではないということです。
では、なぜ社会的有用性の観点から視て老い
が価値を失ったように見えるのか?それは、
ある社会の中で、ある価値基準が支配的にな
った結果にすぎないんですね。社会が認める
価値により変動する有用性、そして社会の価
値変遷を跳ねのける個の尊厳、この二つの背
反するものが、老いにまとわりついている訳
です。そして老いの問題は、つまるところ老
いる側の問題であると同時に、老いをどう位
置づけてきたか?という社会の問題でもある
ということになります。
歴史を振り返れば、老いが必ずしも負の意味
を帯びていたわけではないことは周知のこと
だと思います。(齢を重ねる=経験や知恵の
蓄積)として尊ばれ、共同体の中で一定の役
割を担った時代もありました。老いが「価値
の低下」と直結するようになったのは、近代
以降、つまり社会が成熟し、高度に発展した
後の現象なんですね。そして私たちは、その
価値転換に気付くことなく、いつの間にか老
いを個人の努力や準備によって克服すべき課
題として扱うようになったんではないでしょ
うか。例えば、老後資金をどうするか、健康
をどう維持するか、生きがいをどう見つける
か——などです。それらは確かに重要なテー
マですし、必要な観点だと思います。ですが
その背後に、「老いることで価値が下がる社
会」が透けて見えるんですね。
老いへの不安を、個人の内面の問題や覚悟の
問題として片ずけるのは簡単ですが、その前
に「なぜこの社会では、老いることで不安に
なるのか」という問いをしっかり考えていく
必要があると思います。それは、老いをめぐ
る不安や価値の変化を、個人の心理ではなく、
社会の構造や価値観の歴史として捉え直して
いく作業とも言えます。老いは弱さではなく、
社会の前提を照らし出す鏡と言えます。では
その鏡に映っているものは何なのか?
さらに皆様と一緒に考えていきましょう。
というところで今週はここまで。
次回もお楽しみに。
お相手は広森でした!
SEE YOU NEXT WEEK☆

