【ケアマネの自転車奔走記】連載・第705回。
12月も中盤、そしてかつての年末定番、赤
穂浪士吉良邸討ち入りの日曜日。皆様、いか
がお過ごしでしょう?冬らしく寒い日がよう
やく普通になりましたね。年の瀬に向け、何
かと気忙しくなってくる時期です。寒むさで、
体も動きにくくなっています。ヒートショッ
ク、外出先での不慮の転倒など、事故には十
分ご注意下さい。風邪や感染症予防もこまめ
にお願いします。
では【自転車奔走記】はじまります!
ーーーーーーーーーーーーー
たきび版:介語苑・76ー6。
【語句】
マネープラン
【意味】
結婚、出産、住宅購入、老後資金など、人生
のイベントで必要となるお金について、いつ、
いくら必要になるかを具体的に計画し、資産
形成の方法まで含め考えるお金に関する計画。
◎短期連載企画
日本社会がたどってきた
〈老い〉と〈お金〉の文化史
【第4回】
〈選べる老い〉が生んだ格差の時代
〇第1章〈選べる老い〉の光
自己実現と多様化がもたらした高揚の時代
今週から、この連載の核心部分に入っていき
ますが、ボリュームが大きすぎますので、第
4回は複数に分けてお話していきます。お話
がどんどん長くなってしまうのが私の悪い癖
ですが…お付き合い宜しくお願いします。
ーーーーーー
1990年代後半から2000年代にかけ、日本の
高齢社会には、新たなムードが漂い始めてい
ました。時代的には団塊世代が50代後半へと
差し掛かるころで、「シニア」「アクティブ」
「第二の人生」という言葉が雑誌やテレビを
賑わせていました。そこに広がったのは、年
を重ねても、人生を自分で選べるという、明
らかに新しい老後の観念で、まさに『解放』
とでも呼ぶべきものでした。
風景・1
「選べる老い」の誕生
消費社会と自己実現の出会い
バブル崩壊後の停滞期とはいえ、この時期の
日本はまだ「中流幻想」が根強くありました。
中流~すなわち可処分所得のある中高年が大
量に存在していたわけで、当時その層をター
ゲットに(消費社会)が巧みに乗っかってき
たんですね。結果として、高齢者が経済活動
の主体として社会的に認知され出しました。
いわゆるシルバー産業やシニアマーケティン
グといったものですね。例を挙げると、生涯
学習という言葉は、趣味の教室から大学院ま
で広がり、海外旅行は「リタイア夫婦の新た
な定番」として浸透しました。日常生活の中
でも、スポーツジム、カルチャーセンター、
旅行会社、百貨店はこぞって「シニア向け」
を打ち出す戦略を取り始めました。「老後は
第二の青春」というコピーが社会を駆け巡り、
『老い』がもはや齢を重ねることを能動的に
受け入れるというものではなく、個人がそれ
ぞれデザインできる、つまり選択の対象とな
ったわけです。この選べる老いのイメージは、
80年代の自立型高齢者像の延長線上にありな
がら、より能動的でしたが、同時にさらに個
人主義的なものとなっていきました。言うま
でもありませんが、個人主義は「個人責任」
の上に成り立っているんですが…。そして、
そんな社会の雰囲気の変化は更なる変革を生
み出していきます。
風景・2
地域・家族から個人・社会へ
新しい居場所の誕生
変革の一番は地域社会の風景だと思います。
NPOやボランティアセンター、シルバー人材
センター、コミュニティカフェ、防災組織、
子育て支援など、数え切れないほどの地域
(社会)活動に高齢者が姿を見せるようにな
ったのはこの頃からです。その裏には、かつ
て家の中に吸収されていた高齢期の時間が、
社会へと拡散していったということがありま
す。先週少しお話しましたが、家族の役割か
ら自由になり、地域の伝統的な役割からも解
放され、そして自分のペースで、自分が望む
社会参加を選べる、といったことがらです。
このことは、「高齢者が社会の中で活躍する」
という考え方が、初めて主流の物語になった
ことを指しますが、同時にこの過程は能動と
受動が入り混じった“揺らぎ”の中で進行してい
たことも忘れてはいけないですね。そして、
変革はさらに進みます。
風景・3
「選択の自由」が生んだ
〈ライフデザイン〉の多様化
この頃、高齢者が社会の中でその存在を示して
いくと同時に、老後の選択肢は爆発的に増えて
いきました。例えば、U・Iターンで地方移住し
て農的暮らしを楽しむ、趣味や学問に没頭する
第二の学生生活、フリーランス的な働き方でゆ
るやかに働き続ける、そして生涯現役、再雇用
・再就職でキャリアの延長線を積み上げるとい
ったいわば老後モデルというようなものがデザ
イン化されていきました。ここで注目してほし
いのが、老後モデルは皆が同じような老後を過
ごす…といった画一的なものではなく「自分の
価値観に合った老後を設計する」という考え方
が基盤にあるという点です。背景には「自由主
義的個人主義(あえて自由主義的とつけました)
の浸透があるのは言うまでもありませんね。
「迎えるもの」から「デザインするもの」への
変革なのです
風景・4
その先にあるもの…
高齢者が前代的な家族・社会的価値観から解き
放たれたと社会全体が感じた当初は、華やかと
いうか明るい風景が見えていたはずなんですが、
「光あれば影あり」という警句とおり、見えな
いところで変革にともなう一種の歪が進行して
いました。どういうことか?というと、前代的
社会では、高齢者を取り巻くその家族や地域が
自由主義社会の原理からの防波堤となっていた
んですが、高齢者が個人として社会に参加する
と言うことは、高齢者個人が自由主義の原理の
荒波の中で生き抜いていく必要が生じる訳です。
自由主義の原理とは、ズバリ「自己責任」「自
由競争」です。つまり。老後を自分で選択でき
るということは、逆に老後を“自己責任化”する
圧力となるということになります。更に言うと、
選択には資源(健康・お金・ネットワーク)が
必要で、当然のことながらその格差も見え隠れ
するようになります。そして、社会史的に視て
みると、高齢者の社会進出は、家族や地域の役
割減少と表裏一体で、孤立の萌芽も含んでいた
んですね。非常に冷徹な言い回しになりますが、
「選べる」という自由は、その度合いにおいて
誰にでも等しく保証されていたわけではないと
いうことだったのです。
そしてこれらのことが、次に始まった分断と格
差の出発点になるわけです。
というところで今週はここまで。
次回は4回第2章【「選べる老い」は誰が選べ
たのか?】をお送りします。
では、またお会いしましょう。
お相手は広森でした!
See You Next Week☆

