【ケアマネの自転車奔走記】連載・第707回。
今年最後の【自転車奔走記】はじまります!
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たきび版:介語苑・76-8。
【語句】
マネープラン
【意味】
結婚、出産、住宅購入、老後資金など、人生
のイベントで必要となるお金について、いつ、
いくら必要になるかを具体的に計画し、資産
形成法まで含めて考えるお金に関する計画。
【解説】
短期連載企画『第4回』
〈選べる老い〉が生んだ格差の時代。
〇第3章〝つながりの揺らぎ〟。
先週のお話で、家族や地域などから守られて
いる高齢者という日本型福祉社会の高齢者像
が、自由主義経済社会での社会的に自立した
高齢者像へ変化していった経緯を述べました。
「老後は自分らしく、自由に生きる」という、
今では当たり前に感じる言葉が肯定的に語ら
れるようになったその時代ですが、実は日本
社会はある転換点を迎え、そして知らぬ間に
その分水嶺を越えていたんですね。その分水
嶺とは、老いというものが、関係の中で引き
受けられるものから、個人が管理する人生段
階へと再定義された瞬間のことです。先週お
話した経済的分断が「選択肢の有無」によっ
て生じたとすれば、社会的分断は「つながり
の扱い」が変わったことから始まりました。
かつての日本社会において老いるということ
は、社会的に見ると様々な関係から外れるこ
とではなく、家族・親族・地域といった関係
の中での役割が変わる程度の意味であり、家
族や地域は老いを包み込む半ば自明の装置と
して機能していました。しかし高度経済成長
以降、「自立」「自己決定」「迷惑をかけな
い」という社会的な価値が浸透するにつれ、
つながりの意味は次第に変遷していきました。
「支え」は「依存」という言葉に置き換えら
れ、「縁・関係」というものは「縛り」とな
り、さらには「世話になること」は「恥」と
いう価値転換も生まれてきます。
こうして、つながりは支えの装置から、回避
すべき負担へと機能転換していったんですね。
自立型の高齢者像は沢山の価値や可能性を社
会にもたらしたことは否定できません。年齢
的な役割からの解放や家族構成に縛られない
生き方、さらには「老い=衰退」という固定
観念の否定などです。ですが、これらのこと
は今までであれば家族や地域のなかで自動的
に立ち上がっていたはずの「つながり」を、
「つながりは自ら設計し、維持し続けるもの」
といった具合に再構築しました。つまり(自
らの選択において主体的に動かないと、つな
がりは作れない、維持できない)というつな
がりの自己責任化であり、社会的な分断の萌
芽でもありますね。ところで、当時の社会は
この変化を、どう見ていたのか?を私なりに
思い出してみました。
結論からいうと他人事だったと思います。他
人事と表現した理由は、この高齢者像の転換
が、社会的な議論や合意形成を経て生まれた
ものではなかったという事からです。女性や
障がい者の社会進出のように明確な当事者性
や対立軸を伴った変化ではなく、制度や市場、
価値観の変化が重なった結果、いつの間にか
そうなっていたとでも言うべきものだったか
らです。そのため当時の社会、特に現役世代
の視線は、期待でも拒絶でもなく、距離と表
現すべきものでした。「自分たちが関わらな
くても、うまくやっているように見える」と
いう感じです。
ですが、それらは拒絶ではなく、安心の裏返
しみたいなものでした。眼に見える高齢者は
比較的元気で、人口構成もまだ緩やかで、家
族も社会もなんとか機能している、だから
「上手くやっている」という認識ですね。従
って深刻なリスクはまだ広く可視化されてお
らず、来るべき老後リスクを社会の視野から
遠ざけていた、のかもしれませんね。
さて、「つながりの自己責任化」という言葉
を前段で使いました。自立型高齢者像が社会
に定着すると、(自立している)のであれば
「支え」は要らない。→であれば、「つなが
り」は自ら選択・管理するべきもので、無条
件にあるものではない。→とすれば「孤立」
も個人の選択であり、個人選択の結果である。
という論理が成立することになります。少々
強引な論理建てと思われるかもしれませんが、
実際のところ社会はそのような論理を静かに
醸成していきました。しかも悪意からではな
く、個人の尊重や配慮といった善意からなん
です。干渉しないことも優しさであり、距離
を保つことが自由の尊重であると。そうして、
「つながり」は社会機能から切り離され、つ
ながりそのものが個人化(個人的機能への変
化)することになりました。つながりは「あ
るもの」から「作るもの」へ変わり、作れな
い場合の代替装置は、十分に用意されていま
せん。徹底的な個人化です。結果として、つ
ながりを作れなかった人、再構築できなかっ
た人、維持できなかった人、それらの人々は
つながりへの未接続状態となり、孤立や無縁
といった社会的状態に陥りやすくなります。
社会的分断の誕生です。
このように、経済的分断はお金と選択肢の差
として、社会的分断は、つながりを再構築す
る力の差として徐々に可視化されるようにな
り、相互が作用し、時には相互で増幅するこ
とで『老後格差』という社会的な現象を形作
っていくことになります。
というところで今週はここまでとなります。
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さて、相も変わらず一年は早いもので、令和
7年の【自転車奔走記】は今日が最後になり
ます。次回は年明けになります。この一年、
本ブログにお付き合いいただました皆様、大
変ありがとうございました。
また、弊社へも多大なご愛顧を賜り、御礼申
し上げます。令和8年が皆様にとって良いお
年になりますよう、お祈り申し上げます。
それでは皆様、良いお年を!
お相手は広森でした☆

