【ケアマネの自転車奔走記】連載・第673回。
GWの真っ只中、そして5月最初の日曜日、
皆様いかがお過ごしでしょうか?今年は万博
も開催されていて、賑やかなGWみたいです。
万博と言えば、ワタシは前回の大阪万博(昭
和45年)の経験者です。と言っても、当時の
メインコンテンツだった「月の石」なんて全
く記憶にはなく、シンボリックモニュメント
だった太陽の塔の顔の部分が怖くて、大泣き
したことくらいしか覚えていませんが…笑。
さて、5月に入り、初夏らしい日差しの日が
多くなりましたね。皆様、水分補給はしっか
りと、万全の健康管理でお過ごし下さい。
では【自転車奔走記】はじまります!
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たきび版:介語苑・73ー114。
【語句】
社会保障(制度)
【意味】
「国民の生活の安定が損なわれた場合」に、
国や地方公共団体などが一定水準の保障を行
う制度(セーフティネット)。
【解説】
今週からは④「公衆衛生」についての振り返
りとなります。いよいよ社会保障編の最後の
テーマとなりました。張り切って見ていきま
しょう。まずは、日本の公衆衛生の歴史、主
に近現代以降を振り返ります。
日本の公衆衛生は感染症対策を中心に、社会
全体の健康水準向上を目指す取り組みとして
発展してきました。明治期初頭、西洋の医学
と衛生思想が本格的に導入されはじめ、日本
における近代的な医療制度の基礎が作られて
いきます。その流れの中で1879年に内務省
(当時)に衛生局が設置され、ここに国家と
して公衆衛生行政に取り組む体制が整備され、
近代的な公衆衛生が幕を開けたことになりま
す。この時期は、コレラ、赤痢、天然痘とい
った伝染病の流行が深刻な公衆衛生上の問題
で、検疫体制の強化や上下水道の整備促進が
急務とされていました。因みに、1897年には
伝染病予防法が制定され、伝染病の発生届出
義務や隔離措置、衛生教育などが法的に定め
られています。
そして大正時代から昭和初期へと時代は移り
ます。この頃は「国民病」とも言われた結核
への対策が国家的課題とされていました。こ
の時期は、結核予防会の設立や療養所の整備、
そして学校での検診・予防活動など結核へフ
ォーカスした公衆衛生の施策が目立ちます。
ただ、これ以降、公衆衛生は次第に個別の病
気対策から、より広範な健康保持・増進施策
へと視野を広げていくことにもなりました。
そして戦後、社会インフラの破壊と衛生環境
の悪化からの再構築が新制度での公衆衛生の
スタートとなりました。「医療法」や「保健
所法」などの重要な法律が制定され、医療機
関の基準の整備と併せて、公衆衛生の拠点と
なる保健所が全国に設置されることになりま
す。また戦後復興の一つとして、上下水道の
整備促進や感染症対策、栄養改善運動が一体
的に推進されることで、疲弊の極致にあった
国民の健康水準は着実に向上を果たすことに
なります。そして1960年頃から始まる高度経
済成長期、生活環境の急速な都市化・工業化
に伴う新たな公害問題が顕在化し、水俣病や
イタイイタイ病などの深刻な健康被害が社会
問題、公衆衛生上の問題となります。その結
果、公害対策基本法(1967年)や環境庁(現
・環境省)の設置(1971年)など、環境と健
康を包括的に守る制度整備が進められること
になりました。その後、社会基盤の安定に伴
い、公衆衛生の焦点は感染症から生活習慣病
へと移っていき、がん、心臓病、脳卒中とい
った成人病対策が重視され、食生活改善運動、
健康診断の普及、運動推進施策などが展開さ
れることになりました。
さらに近年では、高齢社会の進展に伴い、介
護予防や地域包括ケアシステムの構築も公衆
衛生上の重要課題となっています。また、世
界的に猛威を振るった新型コロナウイルス感
染症のような新たな感染症への対応も求めら
れています。
このように、日本の公衆衛生の歴史は、時代
ごとの社会状況や科学技術の発展に応じて、
その対象と手法を変えながら進化、発展して
きたと言えます。そして、人が集まって社会
を構築する以上、そこには必ず「公衆衛生」
というシステムが必要になるとも言えます。
と言うところで今週はここまで。
次回は日本の公衆衛生の制度を振り返ります。
では、またお会いしましょう。
お相手は広森でした!
See You Next Week☆