【自転車奔走記】第720回。

【ケアマネの自転車奔走記】連載・第720回。

3月も中盤の日曜日、皆様いかがお過ごしで
しょうか?最新の桜予想によると、今年も桜
の開花は全国的に早めという事でした。東海
地方では、今秋にも開花が始まる予想で、上
手くいけば今週末には見ごろの桜を楽しむこ
とができそうです。楽しみですね。

ですが『花ニ嵐ノ例ヘモアルゾ』、寒暖差の
大きな日はまだまだ続きます。体調管理はし
っかりお願いします。
では【自転車奔走記】はじまります!
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たきび版:介語苑・77-7。

【語句】 
老い

【意味】
①年老いること。年老いた人
②身体的に老化することはもちろんのこと、
職場や家庭などでの社会的変化・退行を
伴うとされる現象。
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今週は第4回『老いるとは価値を失うことな
のか?』の#2「老いとアイデンティティ」
についてです。

#1で、近現代社会における自己の構造―社
会的な有用性を示すことで立ち現れる「為す」
存在としての私と、何に拠らずそこに「ある」
私との相克関係、そして私たちは両者のバラ
ンスを取りながら、その均衡のうえで自己を
確認、感じながら生きている、という事をお
話しました。そして、その均衡が揺らぐ時…
これが今回のテーマです。

「均衡が揺らぐ」というのは社会的な自己と
尊厳としての自己、どちらかが大きく、或い
は小さくなって、バランスが取りづらくなっ
てしまうことを言います。近現代におけるア
イデンティティの問題ですね。そして老いは、
私たちが拠って立つアイデンティティの構造
の均衡を、静かに揺らす契機の一つとなりま
す。具体的に言うと、現役と呼ばれる時間を
退いた時、私たちは仕事や役割、成果による
自己確認の機会が大幅に減少しますよね。そ
して老後とは、そんな時間が大半を占める時
間であり、結果として社会的自己が希薄化す
る時間と言えます。ですが厄介なことに、社
会的自己を認識させる社会からの視線(あな
たは社会にとって何者ですか?)という不断
の問いが消えるわけではないんですね。哲学
の概念を借りれば、人間は常に「即自」「対
自」を併せ持つ存在です。事実としてそこに
ある自己(即自)と、自らを意識し、意味づ
けようとする自己(対自)が常に存在すると
いう考えです。20世紀初頭に流行った弁証法
や実存主義の考え方を引っ張り出してきまし
たが、自己の均衡の揺らぎを考える時には結
構有効だと思います。そして老いは、この2
つの自己のうち、対自としての自己を確認す
る手段を確実に奪っていきます。役割が減り、
成果が減り、そして他者からの承認の形式も
変わります。結果として、老いは即自として
の自己と否応なく向き合わせる時間となりま
す。即自としての自己=尊厳としての自己に
向き合う事、それはアイデンティティをより
確かに感じる時間と思えます。

ですが、否応なく立ち上がってくる社会的な
役割から離れたあるがままの自分、「為す」
自分ではなく「ある」自分に向き合うことは、
そう容易ではありません。『いまここにいる
自分とは何者なのか?』を考えている自分と
は何者か?と問われている訳ですからもはや
禅問答、そう簡単に答えが出る訳はないです
よね。言い換えれば、そんな捉えどころの希
薄な即自としての私を補完する意味で、対自
は存在しているのかもしれません。であるな
ら、私たちは人生の長い時間を対自としての
自己を強く認識することで、何かを「為す」
ことによって、即自としての自己とのバラン
ス、つまりアイデンティティを支えてきたん
だと思います。ところが老後ではそのバラン
スが揺らいでしまう。老後はそんな自己が崩
れてしまいかねない歪なバランスの中で、自
分を守ろうとする時間なんでしょう。

そして、そのバランスのズレは不安として現
れます。困ったことに、相対化できない、他
人の評価や社会制度の説明では消えない、純
粋に内在的な不安です。そんな根源的ともい
える不安を常に抱えて生きる、こんなこと普
通で考えれば私たちには荷が重すぎますよね。
ですが、老後は否応なくそんな中に私たちを
叩き込みます。社会的な自己は無くならない、
おまけに社会からのまなざしも消えない…そ
んな時間のなか、社会的自己と尊厳としての
自己の均衡を保とうとする、これが老後の正
体なのかもしれません。ただ、この構造は老
後特有のものではないんですね。近代社会で
生きる私たちは、若い時からすでにこのバラ
ンスゲームの中にいるわけで、バランスが取
りやすい時間帯に過ぎません。となると、老
いは、そのバランスゲームを断続的に顕在化
させたものではく、連続していた構造が、露
出する時間ということになります。

ここで一つの仮説が出ます。老いとは断続に
価値を失うことではなく、連続に価値が問い
直される時間であり、老いとはアイデンティ
ティが崩れるのではなく、アイデンティティ
を再定義する時間、『私はなにものなのか?』
ではなく「私は何者としてあるべきなのか?」
を問うことなのでは?この仮説をさらに進め
て考えていきたいと思います。
というところで今週はここまで。
論考も佳境に入ってきました。
次回もお楽しみにお待ちください。
お相手は広森でした!
See You Next Week☆