【ケアマネの自転車奔走記】連載・第717回。
2月最後の日曜、皆様いかがお過ごしでしょ
うか?来週はもう3月。寒い、寒い2月でし
たが、少しづつではありますが寒さも緩んで
きた気がします。とはいえ、寒の戻りの言葉
もあります。まだまだ油断大敵です。感染症
予防、体調管理はしっかりお願いします。ヒ
ートショック、外出先での不慮の転倒など、
事故にも引き続き十分ご注意下さい。
では【自転車奔走記】はじまります!
ーーーーーーーーーーーーーーー
たきび版:介語苑・77-4。
【語句】
老い
【意味】
①年老いること。年老いた人
②身体的に老化することはもちろんのこと。
職場や家庭などでの社会的変化・退行を
伴うとされる現象。
『老いはいつ価値が変わったのか〜社会的有
用性と人間の尊厳』の本章の第3回。
◎第3回【老いは、いつ社会の足かせになっ
たのか〜社会問題化の構造】
今回は、老いというものが社会問題として扱
われるようになった、その構造について考え
ます。前提として、老いはある時から突然社
会にとっての「重荷」になったわけではなく、
むしろ、社会が自らを合理的に設計しようと
した過程で、徐々に問題として立ち上がって
きたという経緯があります。どういうことか
?というと、近代以降、社会は人口を把握し、
統計化し、制度化するようになりました。社
会の管理化ですね。出生率、死亡率、平均寿
命、年齢分布等々です。社会を単位として管
理しようとした場合、人は数として把握され、
世代として分類されるのですが、その過程で
「高齢者」という分類上のカテゴリーも明確
化されていきます。結果として、老いが個々
の人生の局面としてだけではなく、社会を構
成するカテゴリーの一つとしても明確化され、
社会全体のバランスに影響を与える要素とし
て認識されるようになっていくのです。
敢えて言うならば、「老いの社会化」とでも
呼ぶべき変化です。この変化自体は意図され
て生まれたものではありません。「老い」を
そのものとしてみるならば、近代の医療の進
歩や衛生環境の改善によって平均寿命が延び
ることは、人類史的に見れば明らかな成果で
すので、なんら問題となるものではなありま
せん。ですが、その成果が社会の設計思想と
衝突したときに問題が生じたんですね。社会
史的に見ると、高度経済成長期において、社
会は「生産年齢人口」によって支えられる構
造を前提として拡張したことは間違いありま
せん。それは働き、納税し、消費する世代が
中心となる設計ですが、高度経済成長期にお
いては、人の役割と価値はほぼ一致していま
した。
つまり働いていることが、そのまま社会的価
値の証明たり得たんですね。ですが、時を重
ねて人口構造が変化し、支える側と支えられ
る側の比率が逆転し始めました。そこで初め
て、老いは統計上の負担として語られるよう
になったんですね。同時に「生産しない時間」
は、社会にとってコストである、という非常
に冷徹な暗黙の前提も静かに社会の中に浸透
していきました。この前提はまるで視線のよ
うに人に、そして社会に纏わりつきます。そ
して老いは、単なる人生の一段階から「社会
の持続可能性を脅かす要因」として社会のな
かで再定義されました。老いの価値変換とで
も呼ぶべき現象ですね。
そしてさらに重要なのは、この前提がどんど
んと人々の内面に浸透していったことなんで
す。例えば「健康な老後」という文言です。
個人の問題として考えれば、健康を維持する
ことは大きな価値を持ちますが、社会の問題
として「健康な老後」という文言を捉えると、
その裏には老いが社会にとって問題になり得
る存在であるという前提が静かに流れている
のが見て取れると思います。つまり、老いが
社会問題化したのは、老いの人口が増えたか
らではなく、社会が「効率」と「持続可能性」
を中心に再編された結果であると私は考えて
います。この社会の再編は、近代社会の維持
という観点からすると非常に合理的であり、
そして必要というか必然的な現象であると思
います。この現象は良いことずくめではなく、
弱点もあります。それは、役割を基準に人を
位置付けるという働きです。では、役割とい
う基準を外れた人は、社会にどう位置づけら
れるか?
基準は二つしか残されていません。「尊厳」
と「コスト」です。そして、現代社会は「コ
スト」を選択しつつあります。誤解を恐れず
に言うと、老いが(計算される存在)として、
他の社会を構成するカテゴリーと同列に扱わ
れるようになったわけです。計算されるとい
うことは、比較されるということであり、評
価されるということでもあります。そして評
価は、必ず正負、優劣を伴います。そして老
いはこの評価の枠組みの中に置かれたとき、
社会の足かせという位置に配置されたのです。
注意してほしいのは、老いる人間そのものが
変わったわけではないということです。個の
尊厳は不変のものです。変わったのは、社会
が自らを維持するために採用した物差しなん
です。そして、その物差しで老いを測ると、
老いは負の値を示した…それだけのことなん
ですね。ここで、自らも含めて反問したいと
思います。老いが負の値を社会で示した時、
私たちは何を守ろうとしたのか?ということ
です。経済成長を守ろうとしたのか?それと
も制度の安定?、或いは自分たちの安心?自
分自身に問い直してみましたが、正直よく分
からないんですね。ですか、その問いを直視
しない限り、老いはいつまでも問題であり続
け、老いは消えることのない不安として私た
ち一人一人の中で燻り続ける…と思います。
次回は、この不安を掘り下げてみます。
では、またお会いしましょう。
お相手は広森でした!
See You Next Week☆

