【自転車奔走記】第552回。

【ケアマネの自転車奔走記】連載・第552回。

3月最初の日曜日です。皆様、いかがお過ご
しでしょうか?
雛祭りも終わり、いよいよ年
度末の慌ただしい時期に差し掛かってきまし
た。気候も雨の日が増えるにしたがって徐々
に暖かく過ごしやすい日が多くなってきまし
たよね。ですが、その分寒暖差が大きくなる
時期でもあります。また、季節の変わり目で
体調を崩しやすくなっています。皆様、体調
管理には十分ご注意下さいね。また、3月中
旬くらいから新型コロナウイルス感染症の対
策の緩和が本格的に始まってきます。行政の
情報をしっかり確認したうえで、しっかり各
自が判断をしてご対応願います。ただ、引き
続き十分な警戒と対策をお忘れなく。
では【自転車奔走記】はじまります!
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たきび版:介語苑・73―7。

【語句】
社会保障(制度)

【意味】
「国民の生活の安定が損なわれた場合」に、
国や地方公共団体などが一定水準の保障を行
う制度(セーフティネット)。

【解説】
今週からは、社会保障4本柱の2本目『社会福
祉』についてのお話になります。前回の社会
保険がいわば万が一の時の備えとして機能す
る社会的な制度であれば、社会福祉とは社会
生活を送る上で様々なハンディキャップを負
った人々に対して公的な支援を行う制度とい
う事ができます。因みに「社会福祉」という
と、普通は憲法第25条の生存権の権利保障
の面からのお話になるんですが、今回はあく
まで日本の社会保障の一制度としてのお話に
なりますのでご了承くださいね。

さて、因みついでに…まずは日本の社会福祉
制度の歴史を少し紐解いてから本題に入りた
いと思います。日本の社会福祉の起源を最大
限遡ると推古天皇の時代、593年に聖徳太子
が開いた悲田院に行きつくと言われています。
悲田院とは当時の仏教思想に基づいて作られ
た、貧しい人や孤児を救うための施設。ただ、
公的に運用された制度というよりは、太子個
人のボランティア(あくまで現代の解釈とし
て)のようなものですし、その後の日本では
特に目立った公的な社会福祉の制度や事業が
殆どなかったことを考えると、そもそも社会
や福祉という概念が少なくとも日本では近代
以降のものなんでしょうね。

お話を戻し、日本における実質上の公的な社
会福祉の始まりは、悲田院から千年以上の時
を経た1874年(明治6年)制定された「恤救
規則(じゅっきゅうきそく)」とされていま
す。この恤救規則は貧困者のみを対象として
いて、いわゆる救貧政策と呼ばれるものです。
さて、その後に現在の生活保護法の先駆けと
なる「救護法(昭和4年制定)」や現在も児
童虐待の防止等に関する法律としてその内容
が引き継がれている「(旧)児童虐待防止法
(昭和8年)」が制定されました。そして戦
後になり真っ先に社会福祉の対象となったの
が戦災孤児を主とした子供で、戦後すぐの昭
和22年には児童福祉法が制定されています。

そして昭和24年の身体障害者福祉法、救護法
の流れをくむ生活保護法(昭和25年)が制定
され、いわゆる福祉三法の体制ができました。
その後、昭和35年に「精神薄弱者福祉法(現
在の知的障害者福祉法)」、昭和38年の「老
人福祉法」、昭和39年の「母子福祉法」を加
えた「福祉六法」体制が整い、長く日本の社
会福祉制度の根幹をなしてきました。そして
様々な変遷を経て、現在は「福祉八法」の体
制が基礎となり、様々な社会福祉の政策や事
業が展開されています。

なお福祉八法とは(1)生活保護法(2)児
童福祉法(3)身体障害者福祉法(4)知的
障害者福祉法(5)老人福祉法(6)母子及
び父子並びに寡婦福祉法(7)社会福祉法
(8)高齢者の医療の確保に関する法律(高
齢者医療確保法)を指します。これらの日本
の社会福祉の歴史を見てみると、まずは貧困
という世界共通の社会悪への対策として救貧
政策からはじまり、その時々の社会情勢や社
会の価値観の発展に合わせる形で色々な制度
が制定されたり、改正、廃止されてきたこと
がお分かりいただけると思います。

さて、現在の日本の社会福祉の制度は「保育
・児童福祉」「母子・寡婦福祉」「高齢者福
祉」「障害者福祉」の4つに分類されていま
して、これからのお話もその分類に沿ってお
話を進めていく予定です。因みに生活保護は
「公的扶助」として取り扱われていますので、
これからのお話では言及しませんのでご了承
下さいませ。
というところで今週はここまで。

次回は日本の社会福祉「保育・児童福祉」の
制度等についてお話をします。
日曜日のお相手、広森でした!
SEE YOU NEXT WEEK☆