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【自転車奔走記#98】「生活保護制度」最終回。

【ケアマネの自転車奔走記】連載・98回。

巷では風邪も流行っているみたいですネ。
皆様元気でお過ごしでしょうか?
さてさて、ロンドンオリンピックの聖火
リレーが
始まりました。国内でも
各種目の代表が続々と
発表されて、気分が
盛り上がってきましたね。
体操の田中三兄妹やホッケーのさくらJapan、
そして自転車競技の代表も決まりました。
選手の皆さんの健闘が今から楽しみです。
ところで!
昨年からちょっと話題になって
いました、
猫ひろしさんの国籍&オリンピック代表
に関する
出来事に一応の決着がつきましたね。
IOCは出場を認めないという決定に至り、
猫さんのオリンピック出場は×になってしまいました。
この件に関して、賛否含め色々な意見があったようです。
本人はアスリートとして真摯に練習に
取り組んでいた
そうで、不真面目な考えでこの
一連の騒動を
起こしていない、というのは十分
理解できます。
が、ワタクシ的にはやっぱり腑に落ちませんね。
日本から出場できなさそうなので、国籍を変えて
出場するといった考えに違和感
を感じてました。
確かに、フィギュアスケートのペア競技のように、
選手層及びペア間の問題として他国
の国籍を取得して
五輪出場すると言ったケース
もあるそうですが、
今回のケース
とは明らかに内容が違いますよね。
「参加する事に意義がある」とよく言われる
オリンピックにですが、それは出場した選手に対して
用いられるべき事で、
出場したい或いは出場を目指す
選手には
当てはまらないでしょう。
オリンピック出場選手になると言う事は、
国を背負う前に、一人のアスリートとして、
抜群の成果を残し、数々の予選を戦いぬいて
「栄冠へのチケット」を勝ち取る事です。
だからこそ意義がある訳で、それは「参加する事」
ではなく「参加した事」
が称賛対象な訳ですよね。
残念ながら、猫さんは日本国内ではチケットを
得られなかった、つまり
アスリートとしての勝負に
負けた訳ですので、
国籍を変えて五輪を目指す
姿勢には異議が生じても文句は言えないですよね

と、珍しく私的見解満載のマクラで始まりました
五輪ならぬ五重の段差腹を持つたきびの
 MTB(Me Ta Bo)ライダー」

ヒロモリがお送りします【自転車奔走記】、
〝生活保護制度編〟最終回の始まりです!!

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先週は…
生活保護制度の元々の目的と
は、
「自立した生活の獲得」であると言う事、
そしてその自立を阻害している要因である困窮とは、
経済的貧困だけを意味するのではなく、
「経済的貧困、病気や障害、社会的差別、年齢や
 性差からくる不平等など、人が社会で
生きていく
 上で負に作用し、尊厳を持った個人
として
 生きていく事が【しんどく】なっている
状態」
の事を言い、その困窮からの脱出こそが
生活保護制度の最大目的である旨の内容でした

そして今週は先週の最後に投げかけた問い、
「生活保護制度における自立とは何ぞや?」
について一緒に考えてみましょう。
「自立」というコトバをそのままの意味で捉えると、
「助けを借りず、自分自身の力で
物事を行う事。」
と言った内容になるでしょうか?
確かに、社会人に
なって親元を離れ一人暮らし
をしたりする場合に、
「親からの自立」なんて
言い方をされますよね。
おそらく国語辞典的な字義解釈であれば正解
なのでしょうが、この場合の「自立」は、
反義語としての「依存」と言う概念がないと
成立し得ないコトバでもあります。
つまり!
【自立⇔依存】という、相反する概念図式
根底にあるので、「自立」と言った途端に、
言い手、聞き手双方の頭の中には【依存】という
反義語が浮かんでくると言うことに
なるんですよね。
このように、「自立」というコトバを「依存」
反義語だけで考えてみるとどうでしょうか?
ヒト・モノ・カネといった社会構成要素と、
家族や学校・会社、町内会に市町、自治体、
最終的には国、さらには近隣諸外国、等々、
個人の集合体がそれぞれ絡み合いながら相互に
関係・影響しあって成立している
この複雑な
近代社会のなかで、全く他者の
助けを借りずに
「自立」して生活できる人が
果たして何人いるか…
正直、皆無ではないでしょうか?

誰もが、どこかで、何らかの形で他者の助け
借りたり、他者の影響を受けて暮らして
いますよね。
つまり、個人が全くの一人単独では存在し得ない、
相互依存の中で私達は生きていることになります。
個人は社会と言う網の目の様な構造体
の中での、
関わり合いにおいてのみ存在し得る
のしれません。
とすれば、「自立」の持つ意味が違ってきますよね。
現在の社会で個人は相互依存の関係性に於いてのみ
成り立つと言う事は、逆説的に個人は容易に
“社会”の
中で埋没してしまうという事を意味します。
謂わば「社会の構成要素」「社会の歯車」として
のみの存在、社会的要求や必然と称される社会が
持つ
目に見えないエネルギーに翻弄されるだけの
個人
になってしまいます。
であるからこそ、その中で「自分」を発揮する事、
それこそ「社会の中で個を叫ぶ!」というニンゲン
アイデンティティーに関わる重要なアクション

常に必要となるのでしょう。
それこそが「自立」という概念の発端であり、
「個の尊厳」が重んじられる事の理由かもしれません。

以上から考えると「自立」とは、
「相互依存社会の中で、気兼ねなく自己を主張できる、
 自分が自分で有り続ける」
事ではないでしょうか?
その意味で
「生活保護制度での自立の意味」を考えてみますと、
単に金銭的な支援によって経済的困窮から脱出する
ことではなく、困窮によって阻害され、制限され、
失われている“個人の尊厳”と“個人の主張”を取り戻す
ことに他なりません。
生活保護制度での支援はその自立を獲得するための
一手段にすぎないんです!!
生活保護制度の対象は個人及び世帯になりますが、
その事だけを取り上げて、保護を要する原因が
個人のみに帰せられることは少々おかしいですよね。
【困窮状態】の要因は、個人としての因子に加え、
その個人が属する社会とその社会システムの構造が
生み出していると考える方が妥当です。

つまり
個人の問題であり、社会全体の問題でもあるんです。
困窮を無くすためには、元から断たないと駄目。
失業が困窮に結び付かない社会保障制度だけでなく、
失業を生みださない為の経済政策が必要でしょう。
夫婦でも、女性一人、男性一人でも平等に子育てが
できる社会、障害があろうとなかろうと
皆が同じように
尊厳を持って自己主張できる社会を
作っていくことこそが、
困窮の解消、ひいては
個人の自立を獲得する為の
最重要かつ最短の策では
ないでしょうか?
私達一人一人が責任ある社会人として考え、
実践していくことで、初めて「困窮の解消」が
可能となり、生活保護制度が本来の目的である
「困窮
状態を解消し、自立して社会に参加できる。」
為の制度として十分な機能を発揮する事ができるんです!
だからこそ、生活保護費は
保険方式ではなく、
全額公費(税)で賄われている
とも考える事ができます。

要は私達の問題である事を認識する事が重要です。
生活保護制度での自立とは詰まる所、
「国民全員で、個人が個人として自己を
 発揮できる
社会を作る事」なんです。
決して他人事ではない、私達全ての国民が肝に
命じて取り組んでいくべき課題なんでしょうね。
以上、
長きにわたって
続けてきましたが、
この連載をきっかけにもっと多くの方が
生活保護制度を始めとした社会保障制度
に関心を
持って、我が事として考えて頂けるなら
幸いです。

来週は久々!【介護保険Q&A】編の再開です。
色々とご質問も溜まっていますので…ではまた来週!!
See You Next Week

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